2021年8月22日 巻頭言
イエスはそう言っている人に答えて、「わたしの母とはだれでしょうか。わたしの兄弟たちとはだれでしょうか」と言われた。それから、イエスは弟子たちの方に手を伸ばして言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」
マタイの福音書 12章48~50節
福音を伝えるイエス様に対し、パリサイ人や律法学者の反発は激しさを増し、ついに彼らはイエス様への殺意を抱きます(14)。病む人を癒やし傷ついた人に寄り添うイエス様の生き方に、彼らはなぜ反発をしたのでしょうか。それは彼らの生きる原理が福音を受け入れなかったからです。彼らの生きる原理は律法主義です。自分の力で自分の価値を証明して報いを得ようとする生き方です。この世での評価や実績がすべてで、それがなくなれば人としての価値がないという価値観です。できない人は排除し、自分自身もできなければ価値を失うので、最終的に残るのは絶望です。彼らは群衆に人気のイエス様を妬み、自分の評価を危ぶみ、イエス様を排除するに至ったのです。
それに対してイエス様が提示したのは十字架と復活です(39,40)。罪の企みをその身に引き受けながら、人の力・この世の原理を超えた神の力で救いの道を開きました。そして私たちを神の力に頼る生き方へと招いておられるのです。
この世の原理ではなくイエス様と共に神の原理に生きるためにはどうすればいいのでしょうか。
一つはイエス様の呼びかけに応えることです。「弟子」(49)とはイエス様の呼びかけに応えそのことばを聴き続ける人です。
もう一つは、兄弟性を生きることです。イエス様は弟子たちを家族と呼びました。教会は共同体です。ただの共同体ではありません。自分で選んだのではなく神によって共に集められた人々を受け入れ共に歩むところに兄弟性があります。それは人を受け入れるだけでなく、導かれた神のみこころを受け入れることでもあります。神のみこころを受け入れるところから、神のみこころに生きることが始まるのです。
主任牧師 荻野 泰弘
8月22日 礼拝順序
第1礼拝 9時 司会:荻野 牧師 奏楽:荻野し 兄
第2礼拝 11時 司会:荻野 牧師 奏楽:美名子 姉
前 奏
招 詞 マタイの福音書11章28節
会衆賛美 聖歌498(1,2節)
会衆賛美 大いなる方に(1回)
主の祈り
交 読 詩篇100篇1~5節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 12章46~50節
説 教 イエス様に属する人々
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌160(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽