2019年8月11日 巻頭言

私は神から委ねられた務めにしたがって、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを・・・
余すところなく伝えるためです。

コロサイ人への手紙1章25・26節

 「仕える」という言葉は、元来、身分社会の中の上下関係で、目上の人に接する場合に用いる言葉でした。ですから現在は一般的にはあまり用いませんし、「仕えなさい」などと言うと、即「パワハラ!」と訴えられそうです。しかし、このコロサイ人への手紙1章でパウロは「福音に仕える」(23)、教会に仕える」(25)と繰り返しています。それが、主から福音をいただいた者―クリスチャン―の姿勢だからです。強制ではなく、恵みに押し出されて「仕える・奉仕する」、これは、今日も、福音にあずかり、摂理によって導かれている教会にあって、主が、パウロが、 私たちに期待している姿勢ではないでしょうか。パウロは、まず、コロサイの人々に、御子キリストを教会のかしらとするクリスチャンとは、どのような人たちかを示し、そのクリスチャンが教会に仕えるとは、どのようなことなのかを、自分の証しを通して教えています。
 まず、クリスチャンとは、キリストとの出会いによって変えられた人です(21・22)。さらに与えられた福音の価値を認識し意志的に堅く信仰にとどまる人です(23)。
 そしてパウロは、「福音に仕える」ことと「教会に仕える」こととを同じ姿勢としてとらえ、「自分の身をもって、苦しみを伴って」教会に仕える姿勢を示しています。
 またキリストを宣べ伝え(25)、すべての人をキリストにある成人として成長させることによって(28)、教会に仕える姿勢の広がりと継続を示しています。
 福音にあずかった者は、福音を伝える責任があります。
 創立85周年を迎えている私たちの教会は、このパウロの姿勢を受け継いでいる教会でもあるのです。

協力牧師  石田いつ子