2019年9月8日 巻頭言

「ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。・・」そのとき、私は王の献酌官であった。

ネヘミヤ記 1章11節

 バビロン捕囚後イスラエルの民は三回にわたって帰還します。第一次はゼルバベルによる帰還、第二次はエズラによる帰還。そして第三次はネヘミヤによる帰還です。この出来事はエズラによる帰還からおよそ十三年後の出来事です。
 ネヘミヤは、親族ハナニが連れてきたユダから来た人々に、捕囚を逃れたユダヤ人とエルサレムの状況を尋ねます。それは、ネヘミヤの予想に反して悲惨なものでした。同胞が非常な困難の中にあり、エルサレムの城壁もくずされたまま、門も焼き払われたままで人々はそしりを受けていることを聞かされます。
 ネヘミヤはその苦しみを自分の苦しみとして受け止め、涙し、断食して神の前に祈っています。彼自身は、ペルシャ帝国の宮廷の高官として、しっかりとした生活の基盤を固め安定した生活を営んでいました。ある意味、自分の住む地とは異なる遠い異国の地での現実でした。この出来事はネヘミヤに自分がイスラエルの民であることの自覚と認識を新たにさせたのです。
 その後、ネヘミヤは王の前でエルサレムへの帰還を願い、それが赦されます。彼は自分が祈った祈りに自らが応える人でした。神の前に自分をささげるこのような人物によって神の働きは始まるのです。
 そして彼は、自分自身が負わなければならない働きを知り、それに着手したのです。「どうか今日」との祈りは、すぐにとの意味です。神が自分に与えてくださる使命を知った時、今、しなければならない事を今、実行する実行力をもった人物を神は求めておられるのです。85周年のこの年、私たちは、共に宣教の重荷を負って歩むものでありたいと願います。

主任牧師  石田敏則