2019年9月1日 巻頭言

「見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。」

詩篇 133篇1節

 本日は多くの皆様においでいただき、共にシオン・キリスト教会創立85周年記念礼拝を捧げることが出来ますことの幸いを感謝いたします。
詩篇133篇は、ユダヤ教徒にもクリスチャンにも親しまれている歌です。表題には「都のぼりの歌。ダビデによる」とあります。ここにある兄弟とは、肉の兄弟に留まらず、公同の礼拝に兄弟姉妹が一緒になって参加する姿です。
そしてダビデは詠います。このように集まって礼拝することは、なんという幸せなんという楽しさだろうかと…。
 ダビデはこの礼拝の素晴しさを2つのたとえで表しています。一つは『アロンの頭に注がれた油』、もう一つは『ヘルモン山に降りる露』です。
 旧約の時代、礼拝は大祭司によって取り仕切られていました。その大祭司が選ばれる時、大祭司の頭に任職の油が注がれます。その油が髭を伝って祭服の胸当(イスラエルの12部族を象徴する石があしらわれている)に滴るのです。それはアロンと⒓部族が一体となることを意味しています。キリストは「メシア」「油注がれた者」として私たちの中においでくださいました。その祝福がすべてのクリスチャンに臨むのです。
 また、「ヘルモン山に降りる露」は乾燥した気候の地に住む彼らにとっては文字通り命の源の水でした。けれども、ヘルモンの露はどのように流れてもシオンには降りてきません。この詩はありえないことを歌っています。しかし、そのあり得ないことが礼拝において「そこ」でおきるのです。それは、主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じて下さっているからです。その恵みをともに味わいましょう。主はこの礼拝にいのちの祝福を命じ、すばらしいと宣言されているのです。

主任牧師  石田敏則