2019年8月25日 巻頭言
すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。
エズラ記 7章9節
エズラ記はもともとネヘミヤ記と一つの書で、エルサレム神殿と城壁の再建の経緯が記されています。イスラエルはバビロンによってエルサレムを滅ぼされましたが70年の歳月を経て復興の機会を得ました。エズラ記の前半にはゼルバベルによる1回目の帰還と神殿再建が記されています。書名でもあるエズラが登場するのは7章で、2回目の帰還がありました。神殿再建の完成(6章)から60年後のことです(ゼルバベルの帰還からは80年)。それから13年後にネヘミヤによる3回目の帰還があり城壁が再建されました。ゼルバベルは神殿を、ネヘミヤは城壁を再建しました。エズラが担った役割は、イスラエル人を礼拝の民として再建することでした。
学者また祭司だったエズラは、自ら聖書を学び、みことばに生き、そしてそれを人々に教えることに尽力しました(10節)。 神を礼拝する人生の恵みを示し、人々を礼拝者として整えたのです。
ですからエズラ記の主題は、単なる建物の再建ではなく、それを含めた「神を礼拝する民が整えられる」ということです。
主が救われた者に求める一番のことは「礼拝の民」となることです。バビロンという罪の世界から回復されたイスラエル人は神殿という礼拝の場所と、礼拝の心を回復したのです。それが主の御心でした
それには非常に長い時間が必要でした。エズラ記の冒頭からネヘミヤ記の終わり迄は実に100年が経過しています。なぜそれほどの時間がかかったのでしょうか。
一つには罪の世からの様々な妨害があったためです。世の価値観は信仰者の生活に忍び込むのでそれと戦う必要がありました。もう一つは、罪人が礼拝者として成長するには時間が必要だということです。敬虔に生きる信仰者たちの信仰生涯の積み重ねは信仰者の群れ(教会)を成長させます。その一つの実としてエズラという神の器が起こされました。敬虔に礼拝者として生きる時、信仰は次の世代に繋がるのです。
担任牧師 荻野泰弘