2019年9月29日 巻頭言

「主は言われる たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」

イザヤ書 1章18節

 イザヤは、旧約のパウロとも呼ばれています。神の約束への信頼こそが神の民にとって一番大切であることを教えています。イエス誕生の七百年も前に生きた人物です。イザヤの時代は、富も文化もダビデ・ソロモンの繁栄の回復を見ることが出来ました。かたや民の不信仰は政治家・宗教家の堕落、豊かな者による搾取、わいろや暴力等、社会正義は失われ、やもめや貧者はしいたげられていました。それでも民は神に頼ろうとはしませんでした。
 そのような中でイザヤは、神に背いた民の不信と不法とを指摘し、罪を犯したままで捧げる礼拝が、神に憎まれることを指摘し、捕囚は神の審判であることを語ります。この状況は絶望的です。彼らは朽ちて滅びるだけでした。それでも、彼らは自分たちはソドムの民らとは違うと自分の破れを認めようとしませんでした。
 しかし、イザヤは18節以下で、その民に悔い改めによる罪の赦しを与え、聖め、受け入れてくださる、神の救いの約束を告げます。私たちが、神の前に、神の正義に照らして自分の状態を調べるなら、どれほどの罪があり、弁解の余地のないことに気がつくでしょう。心を探られたその内容に対して、心柔らかに応答し、そして、私たちが主の招きに応え神に近づくとき、神はその罪を取り除き、雪のように白くしてくださるのです。キリストの十字架の贖いの恵みを信じて進んでゆきましょう。
 私たちも、イザヤの時代と変わらない世界の激動期に生きています。福音の真理をしっかりと捉え、私たちの時代をリードするものでありたいと思います。

主任牧師  石田敏則