2019年10月20日 巻頭言

「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。」

イザヤ書 65章17節

 イザヤ書全体の要約と言われている最終章、イザヤは何を見たのか、神から「何を見よ」と迫られたのか、そして、イザヤは、民に何を「見よ」と語っているのでしょう。
 まずイザヤは過去を見ています。それは回顧的な感傷に浸ることではなく、神がイスラエルを選びご自身の民とされたという事実を見ているのです。アブラハム、イサク、ヤコブと受け継がれた神の約束。そして、ダビデ、ソロモンと続き、今自分たちが生かされている南ユダ王国。それは、神から選ばれた祝福であることに目を留めたのです。
 次にイザヤが見たのは、神の民エルサレム・シオンが、神の怒りを引き起こしている背信の状況でした。エルサレムは荒廃し、形式だけで神を礼拝するものに対して神の怒りが記されています。そのようなものに対して神は、厳しくその罪を罰するお方であるという厳粛な事実をイザヤは教えているのです。
 最後にイザヤが見たものは、イスラエルの未来の姿です。イスラエルの勝利、回復、新しいエルサレム・シオンの約束でした。一義的には、彼らの敵であるアッシリアに対する勝利でしたが、イザヤが活動を終えた百年後、南ユダ王国はバビロンによって滅ぼされ捕囚の民となります。しかしペルシャの時代になり、エルサレムへの帰還が許され、神殿、城壁は再建され新しいエルサレムとして再出発できる希望を語っているのでしょう。更にイザヤは、「新しい天と新しい地を創造する」という言葉にあるように、キリストの再臨によって完成される「新天新地」の約束をしっかりと見据えていたのでしょう。私たちは、この時代、この地で、神に選ばれた民として地上の使命を果たしていきたいと思います。

主任牧師  石田敏則