2023年1月22日 巻頭言
心を動かされた者、霊に促しを受けた者はみな、会見の天幕の仕事のため、そのあらゆる奉仕のため、また聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。
出エジプト記 35章21節
エジプトでの奴隷生活から救い出されたイスラエルの民は、紆余曲折を経ながらも神様に導かれ、神様を礼拝する場所である幕屋の建設に着手します。
出エジプト記は、イスラエルが救われて神の民として整えられることを記します。この書は、幕屋が建設され、そこに主の栄光が満ちたことで締めくくられています。このことから教えられるのは、私たちが救われることは、神を礼拝する者として成長し、神の栄光を現わすためだということです。
さて、今日は35章と36章から、幕屋を建設するイスラエルの姿を通して、主に仕えることを考えたいと思います。
幕屋の建設に尽力したのは「心を動かされた」人々でした。主への奉仕は、主の呼び掛けに心を動かされた人々によって献げられるところに価値があるということです。そのような人々を主は喜ばれ、その人々を通して主は御業を現わします。誰かに強いられてではなく、気乗りせずに参加をするのではありません。
心を動かされた人がいれば、そうでなかった人もいたでしょう。この箇所から分かるのは、心を動かされた人々は、動かされなかった人々を批判していません。信仰が成熟していなかったり、霊的な気づきがなかったり、何らかの事情で加わらなかった人々をモーセをはじめ人々は良しとして受け入れたということです。逆を言えば、主に仕えることの自発性や主体性が損なわれないように群れを守ったということです。私は一生懸命仕えているのになんであなたは何もしないのか、と言う必要はありません。心を動かされた人々が協力するところに十分な力が現わされます(三六5~7)。むしろ、仕える人々の背中を見て、新たに心を動かされる人が起こされるように祈ればよいのです。
ところで、そもそも人々の心を動かしたものはなんだったのでしょうか。それは、主に救われたことの喜びです。彼らにとって、幕屋の建設を呼びかけた主とはどんな御方だったか。 エジプトでの虐げから救い、荒野の旅を守り、金の子牛を造った背信を赦してくださった御方です。自分がどこから救われてどんな恵みに生かされているかを知り、その恵みに気づくとき、その人の心は動かされ、自ずと主に仕え、主に献げたいと思うものです。
主任牧師 荻野泰弘
2023年1月22日 聖日礼拝 式次第
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋姉
招 詞 イザヤ書60章2節
会衆賛美 聖歌25
会衆賛美 主はぶどうの木(2回)
主の祈り
交 読 詩篇111篇1~10節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 出エジプト記 36章1~3節
説 教 心を動かされた者
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌615
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
後 奏 感謝祈祷