2023年4月30日  巻頭言

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」 

ヨハネの福音書 20章29節

 イエス様は復活をした日の夕方に、愛する弟子たちのもとを訪れ、ご自身の姿を 現わしました。
 ところが、そこに居合わせなかった弟子がいます。トマスでした。彼がなぜそこにいなかったのか、聖書は理由を明らかにはしていません。
 ある人は、トマスがイエス様を探していたと言います。その日、トマスは弟子仲間のペテロとヨハネからイエス様のお体が墓からなくなったと聞きました。さらにその後、マグダラのマリアからイエス様が生き返ったと聞きました。いったい何が起こっているのか?イエス様はどこにおられるのか?疑問、戸惑い、そして希望を抱いて彼はイエス様を探し歩いたというのです。
 いずれにしても、トマスがいない間にイエス様はほかの弟子たちに現れました。それは、トマスにはどれだけショックだったでしょう。自分だけが置き去りにされたのです。疎外感をトマスは感じたでしょう。「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」(25)との言葉は、トマスが現実主義であるとともに、彼の痛みから出た言葉であると言えるでしょう。
 そんなトマスにイエス様は自ら近づき、ご自身を現してくださいました。
 時に人は、イエス様を否定するつもりはないけれど信仰が分からなくなったり、信仰に意味を見いだせなくなるかもしれません。信じているのに自分は祝福されていないと感じたり、神様の存在が遠くに感じられることがあるかもしれません。しかし主は悩む者に近づき、ご自身を現わします。
 トマスがユダヤ人を恐れて部屋に閉じこもっていたとき、そこに主は現れてくださいました。人が思いもしないところ、或いは人の弱さの中に、実は主は現れるのです。
 そのような主を知るために必要なことは、手と脇腹の傷が示す通り、イエス様の十字架を仰ぐことです。その傷が私のためであると受け入れるとき、「私の主、私の神」と自ずと告白するのです。信じるとは信頼することです。主がどのような御方であるかを知る時、信じる心が起こされます。

 主任牧師 荻野 泰弘

2023年4月30日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 榊原姉

招  詞 イザヤ書43章19節
会衆賛美 聖歌196
会衆賛美 鹿のように
主の祈り
交  読 詩篇103篇6~14節
礼拝祈祷
使徒信条
会衆賛美 注がれた愛
聖書朗読 ヨハネの福音書 20章19~29節
説  教 信じる心
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌651
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
後奏 感謝祈祷