2023年6月18日  巻頭言

「この息子、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。こうして彼らは祝宴を始めた。」

ルカの福音書 15章24節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネの福音書 3章16節

 今日は『父の日』。私たち人間の真の父なる神の愛につかまって生きる素晴らしさを『世界の短編物語中の最高傑作』と言われる『放蕩息子』のたとえ話に聞きたいと思います。「ある人に二人の息子がいた」から始まります。弟息子は父に財産の分け前を要求し遠国に旅立ち、放蕩に明け暮れ、遂に、飢え死に寸前となってわれに返り、罪を悔い改めて父のもとに帰還し、父に迎え入れられるという内容です。
 このたとえ話の本意は、冒頭の『万民の聖句』と言われるヨハネ福音書三16です。この物語に出て来る人物は、父なる神です。弟息子は異邦人、罪人です。後半の兄息子は自称義人、他人を蔑視する宗教家等です。神のない世界に向かい、神を見失っている人々、すべての人が神に立ち返るようにと願う神の深い愛の姿が描かれています。
 第一に、父の愛は、愛する者を失った悲しみに現われます。
 24節。父親は息子が帰った時、「…死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と言いました。息子を失ったとき以来、悲しみの日々であったことを示唆しています。ここに神と人間との壊れた関係の遠さを悲しむ神を見ます。ヨハネ三16の「滅びる」は、17節「飢え死に」と同じ言葉です。「永遠のいのち」は、人間が神に似せて造られた時、人に植え込まれました。しかし罪によって死に至ったのです。神が愛する人を失った悲しみの深さを表わすのは創世記三9「あなたはどこにいるのか」。堕罪した人類歴史に呼びかける神の慟哭です。それは「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ者となるためです」。
 第二に、父の愛は、惜しみなく払う代価によって現わされます。
 父が、帰還した息子に指輪を与えた事は自分を与えた事と同じです。「ひとり子を与える」事は父なる神ご自身を与えることと同じです。御子イエスは「多くの人のための、贖いの代価として自分のいのちを与える(捨てる)ため」に来たと。神の心に秘められた愛の深さは測り知れません。
 第三に、父の愛は、悲しみが喜びに変わることによって現わされます。「父は…かわそうに思い、走り寄って彼を抱き口づけした」。悲しみが喜びに変わる迫真の描写です。故に神の愛につかまって生きる事は幸いです。

 田中 英 師

2023年6月18日 父の日聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 金川兄  榊原姉

招  詞 ゼカリヤ書2章10節
会衆賛美 聖歌386
会衆賛美 御手の中で(週報4面)
主の祈り
交  読 詩篇103篇1~14節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ルカの福音書 15章1~24節
説  教 父なる神の愛
            田中 英 師
会衆賛美 聖歌394
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
 報告
  後奏 感謝祈祷