2023年9月17日  巻頭言

「ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」

イザヤ書 46章3~4節

 今朝は「敬老の日」として守る礼拝です。イザヤ書四六章は捕囚の身となったユダの民に、神がご自身とバビロンの偶像の神と対比する内容です。三~四節を中心に一言で言えば、人間や獣が背負う神か、人間を背負う神かと問いかけ、八節に「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほにかはいない。わたしのような神はいない」。モーセは「また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、主が人が自分の子を抱く(背負う)ようにあなたを抱いて(背負って)くださったのを、見ているのだ」と言った(申命記一・三一)。
 三~四節は、私の人生・伝道者生涯で、詩篇三〇篇五節「いのちは恩寵のうちにある…」の聖句と共に、私自身の寿命を保証された大切な聖言です。クリスチャンの神は、すでに母の胎にある時から選ばれ誕生後の生涯を神と共に歩み、神のみもとに携え上げられまでの全行程において、私たちを背負って運び天に召してくださる神なのです。   
 第一、不変不動の神の愛と真(誠)実です。神の民の歴史は、人の一生涯として学べます。「わたしは背負う」との約束は「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」。キリストの愛と真実は十字架において実現しているからです。 
 第二、神により頼んで生きる確かさです。
①それは生ける真の神だからです。八節以降に「思い出し、思い返せ、思い出せ」と促されています。前述の申命記の聖言は神が、いま私たちに今日に至るまでの信仰生涯を思い返して見よ。わかるだろう、と促しておられるように思えてなりません。
②それは神が私たちの創造者だからです。他訳の四節は「わたしは造ったゆえに」とあります。「わたしが造ったゆえに、…白髪になるまで…」全責任をもって「わたしは負う」と言われる神だからです。この神に生涯を委ねて天に召して頂きたいものです。

 田中 英 師

2023年9月17日 聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時  荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 戸梶 姉 髙橋美姉

招  詞 イザヤ書49章13節
会衆賛美 聖歌384
 会衆賛美 神の国と神の義を(2回)
(歌詞は週報4面に掲載)
主の祈り
交  読 詩篇71篇5~8節、15~20節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 イザヤ書46章1~13節
説  教 わたしは背負う
            田中 英 師
会衆賛美 聖歌273
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
  後奏 感謝祈祷