2024年2月11日  巻頭言

神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

エゼキエル書 37章5節

 神の民イスラエルによる北イスラエル王国と南ユダ王国は滅びました。エゼキエルは祖国南ユダ王国が滅んでいく時代に預言者として活動した人物です。
 祖国が失われるとはどんな苦しみだったでしょうか。エゼキエル自身も捕囚の民として祖国から遠くバビロンへと連れていかれます。主に守られ主の使命に生きたエゼキエルであり、彼自身に国が滅んだ責があったわけではありません。しかし、世の流れからは無縁ではなく、捕囚の民の一人として苦しみを共に負いました。それもまた、主より託された使命に生きることのひとつだったのでしょう。
 人間的には大きな悲しみを抱え、これからに不安を思わずにはいられない状況で、しかし主はエゼキエルに驚くべき希望を示しました。
 エゼキエルが連れ出されたのは干からびた骨の満ちた地です(1,2)。それは「イスラエルの全家」(11)つまり滅亡した南北イスラエルのすべてを指します。主はエゼキエルに、それらの骨に向かって主のことばを語れと言われました(4)。
 エゼキエルが主のことばを語ったとき、干からびた骨が人の姿となり、そこに「息」が入って彼らは生き返りました。聖書において「息」とは、主の霊であり、主の命を現します。主はご自身が愛された民を、その罪のゆえに罰しましたが、その愛のゆえに再び立たせると約束しました。
 この出来事は、キリストの救いによって神の民とされた私たちにも大きな望みを与えてくれます。
 私たちは渇きます。疲れ果てます。自分の力の限界でどうすることもできないほどに落ち込むことがあります。しかし、主はそんな私たちを回復できる御方です。いや私たちの真の命はただ主にあるのです。
 私たちが主の命に生かされるためには、主の霊 聖霊によって記された聖書のことばに触れ続けることです。そして主の御手が自らの上に働く時を待ち望むことです。主が私たちを生かしてくださいます。

主任牧師 荻野 泰弘

2024年2月11日 聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時 荻野と兄  荻野し兄
第2礼拝 11時 武山 兄  髙橋美姉

前  奏
招  詞 詩篇100篇1~3節
会衆賛美 聖歌134
会衆賛美 大いなる方に(歌詞は4面)
主の祈り
交  読 詩篇19篇7~14節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 エゼキエル書 37章1~14節

説  教 神の命に生かされる
                 荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌654
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
  感謝祈祷  奏楽