2024年4月28日 巻頭言
「夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。」
ヨハネの福音書 21章4節
イエス様の十二弟子のひとり、ペテロは心が沈んでいました。彼は、イエス様が十字架に向かう大事な場面で、イエス様を裏切ってしまい、後悔と自責の念が深く心にあったのです。すでに、イエス様は復活をしたその日の夕方にペテロら弟子たちにご自身を現しました(ヨハネ二〇章)。それは、裏切ったペテロたちをイエス様が赦しておられるしるしでした。けれども、ペテロはその赦しをまだ自分のものとして受け取り切れなかったのです。
私たちは生活をしていると、失敗をしたり、人とうまくいかなかったり、思いがけない出来事に巻き込まれたりと、様々なマイナスと思える出来事を経験します。そういうときは心がふさぎ、暗く沈んだ気持ちになります。生活から色合いが失われ、生きる意味が分からなくなり、これからの自分の生活に意欲を失います。そして、神はどこにいるのかと信仰も揺らぎます。
そんなとき、イエス様は私たちをどのように取り扱われるでしょうか?
書籍「岩から出る蜜」で蔦田二雄師は言います。主は不安におののく人に対して、「臨在・招き・供給」をもって臨んでくださる、と。イエス様は「さあ、朝の食事をしなさい」(12)と疲れた弟子たちをご自身のもとへ招き、彼らが空腹を満たせるように必要を備えてくださいました。その招きは弟子たちに安心と慰めを与え、主の赦しを確認する時でした。
イエス様は不安に沈む人と、共にいて(臨在)、恐れる必要はないと招き、必要を与えてくださるのです(供給)。
ヨハネの福音書のテーマは「復活の主はどこにおられるのか」です。罪深い私たちは、罪の世の力や自分の罪のゆえに、復活の主を見失います。しかし、岸辺に立つ主は、実は、私たちのそばにいて見守っておられるのです。この聖書のメッセージを受け取ってください。されるのです。
主任牧師 荻野泰弘
2024年4月28日 聖日礼拝式次第
プレイズサンデー
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉
前 奏
招 詞 イザヤ書43章19節
会衆賛美 聖歌392
主の祈り 口語訳(週報4面参照)
交 読 詩篇62篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条 口語訳(週報4面参照)
会衆賛美 All in all
会衆賛美 大いなる方に
聖書朗読 ヨハネの福音書 21章1~14節
説 教 近づいてくださる主
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌594
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽
※第2礼拝後 避難訓練