2025年1月12日 巻頭言
アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。
創世記 15章6節
「信仰」という言葉にはどのような意味があるでしょうか?今日は「信仰の父」とも呼ばれるアブラム(後のアブラハム)の姿から、共に考えていきたいと思います。
神様はアブラムに対して祝福の約束を与えられました。子孫が与えられて、新しい地を獲得する。そして全ての人がアブラムを通して祝福される。この約束は彼個人に対する祝福であったと共に、人間に対する救いの計画がアブラムとその子孫から続くイスラエルの歴史を通してなされるという神様の祝福の約束でした。
しかし当時のアブラムを見ると、彼自身には神様からの祝福の言葉を信じる根拠はありませんでした。特にアブラムにとって高齢になっても自分の子どもはいないという状況は不安の種であり、私たちの目から見ても本当にアブラムから子孫が星のように広がり、そこから祝福が広がっていくのかと疑問に思うような状況です。
そのような状況の中にあってもアブラムは神様に信頼をし、神様の語られた言葉を受け取りました。自分や自分の周りには根拠はない、けれども神様が語られた事だから信頼するのだという姿勢。これこそ信仰ということが出来るでしょう。信仰とは神様が信頼できるお方であると認め、その神様に信頼を置いて生きるという事です。このアブラムの姿を見て神様は彼を「義」と認め、祝福が広がっていったのです。
アブラムは神様の言葉を聴き、そこに信頼を置きました。私たちもアブラムのように神様の言葉を聴き、信頼する者でありたいと思います。私たちは自分の目の前の状況によって心が揺り動かされ、神様の言葉に疑いを持つことがあります。そのような中で自分自身により頼み、失敗をしてしまう事があるかもしれません。しかしそれでも神様の側は変わりません。神様の約束は変わらずに、私たちを愛し祝福を与えようとしてくださっています。私たちはその神様に信頼を置いて、神様を待ち望みながら生きていきましょう。
伝道師 林 眞光
2025年1月12日 礼拝式次第
第1礼拝 9時 林伝道師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野と兄 榊原 姉
前 奏
招 詞 ハバクク書2章20節
会衆賛美 聖歌496 聖なる我らの主
会衆賛美 鹿のように
主の祈り
交 読 詩篇40篇1~10節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 創世記 15章1~21節
説 教 神様に信頼する
林眞光伝道師
会衆賛美 聖歌615 ささげまつりし
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
終 祷
報告
感謝祈祷 奏楽