2025年1月26日 巻頭言
「私の霊をあなたの御手にゆだねます。
まことの神 主よ。
あなたは私を贖ってくださいます。」
詩篇 31篇5節
救いに与かった私たちが、どのように成長して行くかは、その人の明確な新生経験と共に、その後の信仰姿勢、歩みにあります。そんなことを考えながら、冒頭の聖句に心を向けたいと思います。
この詩篇は『主イエス・キリストによって神聖化されている詩篇である。何となれば、主は十字架上における最後の時に、この詩篇の言葉のうちから「私の霊をあなたの御手にゆだねます」と祈りを捧げられたからである。…多分この詩篇を終日味わっておられたものと思う』とありましたので、神の側に身を置いて十字架を見上げます。
第一に、神の父子の『関係』です。
冒頭のみことばは、ルカ二三章四六節「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます」と一つであり、人間の罪の贖いのご計画には一貫性があります。メシヤ詩と言われる詩篇二篇七節「あなたはわたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」。この約束はイエス・キリストにおいて成就しています。
イエスの受洗の時、変貌の山での出来事からして、神は「これは私の愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」。これは詩篇二篇七節の御子に対する批准の言葉です。これは「イエスがメシヤとして神との特別な関係にある」ことを示しています。
主イエスの「父よ。みこころならば…、しかし、みこころの通りにしてください」(ルカ二二章四二節)。御子イエスの願いは御父のみこころを遂行することだけでした。
ある方は、『私たちは十字架において、御子イエスが父なる神のみこころと等しくなられたことの究極の表現を見る』と言いました。
第二は、神の父子の『愛』です。
聖書全体を表現する聖句は「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された…」です。
「与える」の意味にはもう一つの意味があります。「引き渡す、棄てる」です。
父なる神のご心情は察するに余りあります。『キリストの十字架の死の意味を理解することなしに「ひとり子をお与えになったほど…」の神の愛はわからない』とは、沈思に値します。
神の愛の現われの一つが「神のあわれみ」です。「あわれみ」はヘブル語の『胎』を表わし、『母の胎から生まれたわが子への切っても切れない思いやりの感情である』と知って以来忘れません。詩篇百三篇一三節「父がその子をあわれむ」は『胎』を意味する言葉です。父子の愛の関係は計り知れないほど深く強いものです。
聖歌116「この罪の深い」の沈思黙想を。
田中 英 師
2025年1月26日 礼拝式次第
第1礼拝 9時 林伝道師 荻野し兄
第2礼拝 11時 武山 兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 ハバクク書2章20節
会衆賛美 聖歌392 神はひとり子を
会衆賛美 御手の中で
主の祈り
交 読 詩篇22篇1~5節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 詩篇31篇1~8節
説 教 御手にゆだねます
田中 英 師
会衆賛美 聖歌116 この罪の深い
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽