2025年3月2日 巻頭言
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。
私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
詩篇121篇 1,2節
私たちの人生は旅になぞらえられます。特に信仰者の生涯は、天の御国を目指した旅路であり、私たちはこの世界を旅する旅人であると聖書は告げます(へブル十一9~16)。
現代の旅、特に日本国内の度であれば余程危険なことは少ないでしょう。けれども、人生という旅はそうはいきません。「一寸先は闇」という言葉があるように、私たちの人生には思いがけないトラブルや複雑な人間関係など私たちを苦しめ、悩ませる事象が様々と起こるものです。
苦難は外からやってくるものだけではありません。人間は誰しも、自らの心の闇に悩むものです。何才になっても、過去の失敗や、こうありたいと願いながらそのように振舞えない自分の弱さや愚かさに悩むものです。
ある説教者は、1節と2節の作者の問いの背後には、そのような外的な問題と内的な問題が横たわっていると指摘します。そして、そのような悩みを抱える人間とその人の人生に、「天地を造られた主が、あなたを守り、また見守り、助けてくださるのだ」と告げているのが詩篇121篇であるといいます。
3節から8節にはそれを示すこととして「守る」という言葉が繰り返し用いられています。「あなたの右手をおおう陰」(5)も主の保護を示しています。
6節「日」とはエジプトの太陽神を示し、「月」とはバビロンの月の神を示します。古代イスラエルは北はバビロン、南はエジプトという二つの超大国に挟まれた小国で、常に圧力を受けていました。しかし、主はご自分に依り頼む者を守り支えると告げています。旧約聖書によれば、他国の侵攻を受けた北イスラエル南ユダが、神に依り頼むことで不思議な主の介入で助けられたことが記録されています。現代の私たちに置き換えれば、この世界の試練であり誘惑でしょう。私たちは悩みます。けれども「天地を造られた主」が私たちを救ってくださいます。この主に導かれて進んでまいりましょう。
主任牧師 荻野 泰弘
2025年3月2日 礼拝式次第
第1礼拝 9時 林伝道師 伴奏機
第2礼拝 11時 中西け兄 高橋美姉
前 奏
招 詞 エレミヤ書33章2,3節
会衆賛美 聖歌33 ああ言葉の限り
会衆賛美 神の国と神の義を(2回)
主の祈り
交 読 詩篇23篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 詩篇121篇1~8節
説 教 行く道を守る主
荻野泰弘牧師
聖 餐 (第2礼拝)
会衆賛美 聖歌519 主よ導きの手を
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽
※第1礼拝は、礼拝後に聖餐式