2025年4月27日 巻頭言
話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。
ルカの福音書 24章15,16節
イエス様が復活された日、ふたりの弟子はエルサレムを離れてエマオへと向かいました。ほんの数日前には、師であるイエス様が十字架で罪人として殺されショックを受け意気消沈し、そこに今度は、死んだはずのイエス様が復活したという知らせが飛び込んできました。彼らは混乱するばかりでした。山の上の街エルサレムから麓のエマオへ山道を下る彼らは、まさに気持ちも沈んで暗い顔をしてその場所から逃げ出したのです。
私たちの人生には心配事は尽きません。思いがけないトラブルに見舞われることもしばしばです。心が塞ぎ、やる気が失われると日常生活にも悪い影響が及びます。時には逃げ出したくなります。
けれども、そんな私たちに復活のイエス様は近づき、励まし、支えてくださるのだと聖書は告げています。
復活のイエス様は、心を暗くして道を行く二人に近づき共に歩きました。
イエス様は弱り果てて不安を抱える人を心配してくださいます。その人の弱さや不信仰を非難するのではなく、彼らを励まそうと働きかけてくださるのです。イエス様は、疲れた人、重荷を負っている人、悩む人に語り掛けてくださる御方です。
しかし不思議なことに、二人は一緒に歩いているのがイエス様だと気づきません。霊の目が開かれなければ、人は復活の主が共にいることに気づけないのです。
イエス様に気づくために必要なことが二つ示唆されています。神のことばを聴くことと礼拝に加わることです。パンが裂かれた(30)とは「聖餐」、つまり礼拝を示します。神の民の共同体としての礼拝に加わり、みことばに触れるとき、そこに聖霊が働いて私たちの目を開いてくださいます。
復活の主を知った二人は、真っ暗な山道をものともせずに進みエルサレムに戻りました。復活の主が共にいることを知る人は、暗闇でも力強く進むのです。私たちはこのような人生に導かれていることを覚えましょう。
主任牧師 荻野 泰弘
2025年4月27日 聖日礼拝式次第
プレイズサンデー
小礼拝 9時 荻野牧師
聖日礼拝 11時 中西啓兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 ゼカリヤ書2章13節
会衆賛美 聖歌125 主のよみがえり
主の祈り
交 読 詩篇16篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条
会衆賛美 御名を掲げて
特別賛美 主はぶどうの木
聖書朗読 ルカの福音書 24章13~35節
説 教 エマオの道で
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌123 いざ人よ
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽