2025年6月1日 巻頭言

 エペソは現在のトルコ西部に位置します。伝道者パウロは第3回目の伝道旅行の時に実に3年にわたりエペソに滞在して福音を宣べ伝え、教会の建て上げに尽力しました(使徒19章)。エペソは陸路と海路の交通の要衝として商業が栄えた大都市でした。巨大なアルテミス神殿もあり、巡礼者が集まる宗教都市でもあり魔術も盛んでした(使徒一九19)。エペソは商業と経済が発展し、宗教と生活が密着した都市で、それは、世の力、世俗の力が非常に強かったということです。
 そのエペソでのパウロの伝道活動は大きな成果を収め、多くの人が回心し入信します。魔術を行っていた者がそれを破棄して教会に加わるほどでした。その一方で、アルテミス神殿と密着して生計を立てていた人々のように、教会を迫害する人もいました。
 教会は巨大な力と戦いながら聖霊に励まされて進みました。後年には使徒ヨハネが教会の監督を務め、黙示録では終末のメッセージを送る7つの教会の一つとしても数えられ(黙一11)、初代教会の時代に重要な位置を占める教会へと成長しました。
 教会は世の力の抵抗から逃れられません。けれども、聖霊に導かれ、主の恵みと平安に支えられて成長するということです。
 困難に遭遇し、試練に巻き込まれると、人は自信を失うことがしばしばです。私たちの内側にささやく声が聞こえるのです。「お前なんかはクリスチャンらしくないぞ」と。
 パウロはかつて教会を迫害した敵対者でした。それ故に自分を「使徒と呼ばれるに値しない」と言います(Ⅰコリント一五9)。パウロの中にも、自分がクリスチャンとしてふさわしくないという思いがあったのでしょう。しかし、冒頭の聖句の通り、彼は自分が「キリスト・イエスの使徒」であると宣言しています。それは、自分の行いや業績に依り頼むのではなく、主イエス様の恵みによって自分が立っていると自覚していたからです。
 「みこころ」という言葉はギリシャ語で「セレーマ」というそうで、「喜んで」という意味が含まれているそうです。主は、私たちを仕方なく救ってやった、選んでやったというのでなく、愛すべき者として喜んで迎え入れ、今も主の証し人として遣わしておられます。この主の愛を見失ってはいけません。
 パウロは自らのその背景を示しつつ、常に戦いの中にあったエペソ教会の兄弟姉妹を励まそうとエペソ書を書き送りました。私たちは罪深く弱い人間です。しかし、そんな私たちを主は喜んでくださっています。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年6月1日 聖日礼拝式次第


小礼拝  9時 荻野牧師     
聖日礼拝 11時 荻野と兄 榊原 姉

前  奏
招  詞 イザヤ書49章13節
会衆賛美 聖歌28 若草の牧場より
会衆賛美 鹿のように(2回)
主の祈り 
交  読 詩篇3篇1~8節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 エペソ人への手紙 1章1~14節
説 教 キリスト・イエスによって立つ
              荻野泰弘牧師
聖  餐 (小礼拝は礼拝後)
会衆賛美 聖歌386 たれかは述べうる
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝祷
 報告
 感謝祈祷  奏楽