2025年6月29日 巻頭言
「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」
マタイの福音書 6章34節
あるときイエスさまは、ガリラヤ湖畔の丘陵地で多くの群衆に対してお話をされました。群衆を草地の上に座らせ、ご自身は湖の岸辺近くに立たれました。そして湖から丘の上へと吹き抜ける穏やかな風に御声を乗せることで、自然の講堂さながらに、神の国のメッセージを語られたのでした。
人々が座っていた草地には、所々に野生のシクラメンやポピーの花が咲き、風に揺れていたことでしょう。また近くの木々では小鳥たちがさえずり、人々の頭上を飛び交っていたかもしれません。ガリラヤ湖畔のどこにでもあるような風景の中で、そこにある一つ ひとつのピースを用いながら、イエスさまは神さまのことを語りました。
人々にとって神さまのお話を聞く機会は、神殿やシナゴーグでトーラーを学ぶ時間と決まっていて、律法を暗記したり、歴史をおぼえるということに重きが置かれていました。だから、イエスさまが空の鳥や野の花など、目の前にあるものを用いて語られることに驚きつつも、喜んで耳を傾けたのではないでしょうか。
イエスさまが語られたことは、神さまがご自身の被造物を愛しておられ、取るに足りない小さないのちにさえ、気を配り、その必要を常に満たしていてくださるという事実です。神さまは、ご自身が息を吹き込まれ、霊によって交わりを保つことができる存在である私たちを何よりも愛しておられます。主は私たちの必要を必ず満たしてくださるのだから心配しなくもよいのです。
心配というものは、最初は小さな波紋のようですが、放っておくと心の中にさざ波を立て、私たちの心を恐れや焦りで満たしてしまいます。ペテロが大きな波を見て信仰を失い、溺れかけたように、心配は私たちの目をイエスさまからそらし、信仰を揺るがしてしまいます。
イエスさまは神の国と神の義を求め、しっかりと見つめることによって、心配から解放され、神さまの救いとまことをこの身を通して知るようになるのだと教えておられます。主に信頼し、主と共に日々を送り、私たちのベストを尽くしましょう。
茅ヶ崎シオン・キリスト教会 主任牧師 岸田 悟
2025年6月29日 聖日礼拝式次第(講壇交換)
小礼拝 9時 林伝道師
聖日礼拝 11時 中西と兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 イザヤ書49章13節
会衆賛美 聖歌64 神の賜う愛
会衆賛美 神の国と神の義を
主の祈り
交 読 詩篇16篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 6章25~34節
説 教 心配しなくてよい
岸田 悟 牧師
会衆賛美 聖歌508 われはおさなご
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
霊修会アピール
感謝祈祷 奏楽