2025年9月14日 巻頭言

 「一寸先は闇」との言葉があるように、私たちの人生は予測不能で、思いがけない痛みや不安に直面することがあります。困難の中で自分の弱さを痛感し、無力さに打ちひしがれます。しかし聖書は教えます。その弱さや痛みが主の恵みを知る機会であると。
 コリント人への手紙第二で、パウロは自身の「肉体のとげ=弱さ」について語り、それが主から与えられたものだと理解しました。彼はその弱さを取り除いてほしいと繰り返し祈りましたが、主は「わたしの恵みはあなたに十分である」と答え、弱さの中にこそ主の力が完全に現れるとパウロに語りました。
 人の世では強さが重視され、弱さは隠すべきものとみなされがちです。ですから人は強くあろうと努力します。時に無理をして自分を傷つけたり、できない自分を認められずに強がります。弱さを認めない生き方は傲慢を生み他者を見下します。その一方で、自分より強い存在を前にすると劣等感に苦しみます。こうした価値観は人間関係に歪みを生じさせ、生きづらさを感じさせるものです。
 しかし主は、私たちが経験する弱さや痛みさえも支配し、それを恵みの機会へと変えてくださいます。
 弱さを受け入れることは、謙遜を学び、他者と共感して信頼関係を築く力となります。パウロは弱さを受け入れることで、主の恵み深さを知りました。私たちも、主の力が人の弱さのうちに完全に現れるとの約束を受け取りたいと思います。
 「キリストの力が私をおおう」(9)とあります。「おおう」という言葉はもともとのギリシャ語では、主の臨在の象徴だった幕屋に関連します。パウロは、古の昔に主が幕屋に臨在してご自身を現されたことを念頭において教えます。私たちが自らの弱さを受け入れて主に委ねる時、信じる者に内住する主は私たちを通して栄光を現わすのです。
 ある人は「人生とは弱さから弱さへと成長する神秘だ」と語りました。成熟とは、弱さを知ることにあるのです。私たちの人生は、人の弱さを知り、そこに現わされる主の恵みを受け取りながら進む旅路です。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年9月14日 聖日礼拝式次第


小礼拝  9時 荻野牧師
聖日礼拝 11時 武山 兄 榊原 姉

前  奏
招  詞 イザヤ書 60章2節
会衆賛美 聖歌497 輝く日を仰ぐ時
会衆賛美 御手の中で
主の祈り 
交  読 詩篇121篇1~8節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 コリント人への手紙第二 12章1~10節
説  教 弱さに現れる神の栄光
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌651 罪とがをにのう
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 敬老の祝福の祈り
報告
 感謝祈祷  奏楽