2025年9月28日 巻頭言

 ある本の一節が心に残っています。
「頭を上げてまっすぐに立つ、これは霊的に成熟した人がこの世の悲惨さに直面する時示す態度です。日常の様々な出来事の中には、世の終わりを思わせるようなものがいくらでもあります。けれども、私たちはこうした誘惑に打ち勝ち、この世で自信をもって立つことができます。『天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない』(ルカ21・33)ということを常に思い起こしていれば、私たちが立っている霊的な地盤を失うことは決してありません。」(ヘンリ・ナウエン「今日のパン・明日の糧」より)
私たちの日常には、平安を奪い心を暗くする出来事が様々と起こります。
ルカ24章に登場する二人の弟子たちもそうでした。彼らは、師と仰いだイエス様が十字架で殺されたことを目の当たりにして望みを失っていました。甦ったという知らせを聞いても混乱が増すばかりで、結局彼らは、エルサレムから逃げ出したのです。
しかし、そんな彼らが、再び心にいのちの火を灯し、逃げ出したはずの場所へと戻っていきました。それは、イエス様のみことばに触れることによる回復でした。
イエス様は、傷ついた人、重荷を負う人を心配してくださいます。心が弱って疑心暗鬼に囚われ主への信仰が揺らぐ人に、イエス様は近づいて声をかけてくださいます(15)。人はイエス様が共にあることに気づかない場合があります(16)。それでも、イエス様は弱い信仰者と共にいてくださるのです。
私たちは、イエス様が共にあるという事実を、イエス様のみことばによって知ります。みことばは人の心にいのちの火を灯し、暗く困難な状況にも踏みとどまる力を与えてくれます。
大切なことは正しい説き明かしに触れることです。自己流、私的解釈に陥らないように聖書全巻に聴くことが大切です。そのために礼拝に加わり、主の民とみことばを分かち合うことが必要です。
これからもみことばに触れることを大切にしましょう。

牧師 荻野泰弘

2025年9月28日 聖日礼拝式次第


小礼拝  9時  荻野牧師
聖日礼拝 11時  中西と兄 榊原姉

前  奏 
招  詞 イザヤ書 60章2節
会衆賛美 聖歌201 罪とがを赦され
主の祈り 口語訳(4面参照)
交  読 詩篇19篇7~10節
礼拝祈祷 
使徒信条 口語訳(4面参照)
会衆賛美 御名を掲げて
会衆賛美 主はぶどうの木
聖書朗読 ルカの福音書24章13~35節
説  教 みことばに支えられる 荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌518 みことばなる光のうち
献  金
頌  栄 聖歌376  父御子御霊の
祝  祷
 報告
 感謝祈祷  奏楽