2025年10月26日 巻頭言
真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。
使徒の働き 16章25節
人生には痛みや苦しみがつきもので、クリスチャンも例外ではありません。むしろ信仰ゆえに苦しむこともあります。
しかし、クリスチャンにはどんな困難の中でも神の助けを期待できるという慰めがあります。三位一体の神は、人の目には不幸に見えることさえも益に変える力を持っておられ、苦しみの中に慰めと希望を見出させてくださいます。
とはいえ、逆境に直面すると人は不安や孤独を感じるものです。そんなとき、心を励まし神への信頼を呼び起こすのが「賛美」です。
パウロとシラスは、信仰のゆえに不当な扱いを受け、鞭打たれたうえで牢獄に入れられました。真夜中の牢獄で彼らが感じた心細さや痛みは計り知れません。怒りや嘆きがあっても不思議ではない状況でしたが、彼らの口からは賛美と祈りがあふれていました。その賛美は、他の囚人たちの心にも癒しをもたらしました。
彼らがマイナスの感情に流されず、周囲に慰めを与えることができたのは、賛美と祈りによって主を見上げていたからです。
賛美は心を神に向けさせます。特に、つらい経験を経て生まれた賛美は、時代や国境を越えて人々の心に響き、神の慰めを示してくれます。
「真夜中」とは、ユダヤ的な時間の概念では一日の始まりです。暗闇の中にあっても神は新しい朝をもたらしてくださるという希望があります。「地震」は、聖書では〝神の臨在〟を示すことがあります。パウロとシラスが苦しんだ時、神は暗い牢獄の中にも共におられ、彼らを助け出されるために働かれ、看守とその家族の救い、その後にピリピ教会建設という新しい未来が開かれました。
主を賛美するところに、主は臨在されます。苦しみの中でも賛美を捧げることは、神の力と慰めを経験する道であり、そこから新たな希望が生まれるのです。
牧師 荻野泰弘
2025年10月26日 プレイズサンデー式次第
小礼拝 9時 荻野牧師
聖日礼拝 11時 中西け兄 榊原姉
前 奏
招 詞 ハバクク書2章20節
会衆賛美 聖歌201 罪とがを赦され
主の祈り 口語訳
交 読 詩篇42篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条 口語訳
会衆賛美 御名を掲げて
特別賛美(聖日礼拝のみ)「花も」
会衆賛美 鹿のように(2回)
聖書朗読 使徒の働き16章16~34節
説 教 真夜中の賛美 荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌651 罪とがをにのう
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽