2025年11月2日 巻頭言
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
ヨハネの福音書 11章25,26節
新約聖書の福音書は、イエス・キリストの地上生涯の様子を伝えています。そこには、イエス様の数々の説教も収められています。しかし、その中に葬儀の説教はありません。
イエス様が地上で生活をされたとき、多くの人の死に立ち会ったことでしょう。けれども聖書は、イエス様が誰かの死に立ち会った出来事については3件だけ記録しています。会堂管理者ヤイロの娘、ナインの町のやもめの息子、そして、ベタニヤ村のラザロです。(ちなみに、バプテスマのヨハネの死については、言及していますがその場に立ち会ったわけではないのでここには該当しません)
ヤイロの娘、やもめの息子、そしてラザロに共通していること。それは、全員がイエス様によって生き返らされているということです。聖書は、イエス様が復活の業を行った出来事に限って、イエス様が死に立ち会った様子を記録しています。
これは聖書のメッセージです。
真の神であるイエス様の前では、死は力を持たないということです。
ある本には次のように書かれています。「主は、死を悲しむ者たちの前でその死を打ち破られました。死は、主がおられる所には存在できません。死は主の声を聞くとき、いのちにかえられます。」
死は圧倒的な力で人の前に立ちはだかります。誰も抗うことはできず、いつか死の力に屈服し、肉体の死を経験します。しかし、イエス様は、ラザロたちを生き返らせることを通して、ご自身が死にも負けない神の力を持っておられることを示されたのです。
それは人間の希望です。
人は、希望なしでは生きられません。特に、死という変えることができない現実を受け止めるために必要なことは、希望を持つことです。主イエス様を救い主と信じるとは、永遠のいのちの希望に生きることです。
「あなたは、このことを信じますか」(26)との問いかけに応答していただきたいと願います。
牧師 荻野泰弘
2025年11月2日 召天者記念礼拝式次第
小礼拝 9時 荻野牧師
聖日礼拝 11時 吉田潔兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 イザヤ書43章1節
会衆賛美 聖歌196 驚くばかりの
会衆賛美 御手の中で
主の祈り
交 読 詩篇103篇15~22節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ヨハネの福音書11章17~27節
説 教 死で終わらない希望 荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌694 父の神がわれら
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽