2020年7月5日 巻頭言
「今から後、主にあって死ぬ者は幸いである。」
ヨハネの黙示録14章13節
今年も召天者記念礼拝の日を迎えました。召天者記念礼拝は、先に天に召された方々を偲び記念する礼拝です。
「記念」とは、その人の人となりを思いめぐらし偲ぶことです。その人がこの地上でどのように生きたのか、その人が主の前にどの様に生きたのか。その人の生き方を範として、私たちもその足跡に倣うことを決心することです。
すべての人間は、死から逃れることはできません。しかし、キリスト者にとって「死」は決して悲しみだけではなく、むしろ幸いなのだ、というのです。召された方々は、主と結びつく喜びを持っておられたのです。
聖書はすべての人間は、死後、審判がくだされ、然るべき裁きを受けることが定まっていると教えています。しかし、主イエスを信じて死ぬ者には、この恐ろしい裁きがキリストの十字架の贖いによって赦されています。その意味で、キリスト者は永遠の安らぎを得ることが出来るのです。
そして、信仰者にとっての死は、ある意味で一番良いところに移される事なのです。言い換えれば、ある部屋から完璧に整った神様の臨在の部屋に移されるようなものなのです。
神の前に於いては、行いの報いはその行いに応じてなされる、ということです。つまり、主にあって死ぬということは、死後必ず公平な評価を受ける、ということを意味しているのです。
しかし、神様の恵みは、死んだ後に天国だけで味わえるものではありません。この恵みは、今生きている私たちがこの地上で前味わい出来るものなのです。私たちも過去を省みるだけでなく、今日、同じ恵みを頂けるよう、召天された方々を「記念」し、一日一日を歩んでいくことが、大切なのです。
主任牧師 石田敏則
7月5日 召天者記念礼拝 順序
前 奏
招 詞 ヨハネの福音書6章35節
「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」アーメン
会衆賛美 いつくしみ深き
主の祈り
礼拝祈祷
使徒信条
会衆賛美 聖歌694
聖書朗読 黙示録 14章9~13節
説 教 主にあって死ぬ幸い
石田敏則牧師
会衆賛美 聖歌687
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
感謝祈祷 奏楽