2020年7月12日 巻頭言

「主はモーセを呼び、会見の天幕から彼にこう告げられた。」

レビ記 1章1節

 レビ記は多くの人々から難しい書と思われています。その理由はレビ人、祭司による宗教儀式の規定が細かく記されているからです。しかし、その背後にあるのは、幕屋を通して神が民と共に住み、イスラエルは神の民となり、神は民を導くことの約束です。この契約関係は、イスラエルの民が、神礼拝と生活全体において守らなければならないものでした。
 レビ記には、神を礼拝するための詳細な規定が定められています。では、主に受け入れられる礼拝の要素とはなんでしょう。 
 主は私たちをご自身のもとに招きたいと願われ、主の怒りがなだめられる方法を示してくださいました。
 一章に記されている「全焼のささげ物」は、自分の家畜の中で最高のものを自分で連れてくる必要がありました。そしてその人 自身が動物をほふるのです。いけにえはすべて焼き尽くされ「主へのなだめかおり」となります。これは、全部を神にささげるという礼拝の本質を意味し、そこで問われるのはささげる者の心と行動でした。
 そして今、キリストが私たちの身代わりのいけにえとなり、その「香ばしいかおり」により人間の罪に対する神の怒りは、なだめられたのです。神はいけにえを喜ぶというよりも、その払われた犠牲の大きさ、価値を認めてくださっているのです。
 二章の「穀物のささげ物」は、「貢物」を意味する言葉です。全焼のささげ物に添えてささげられたもので、「覚えの分」が「祭壇の上で焼いて煙に」されます。しかし、主はこの覚えの分に過ぎないものをも「なだめのかおりの火によるささげ物」と呼んでくださっています。神の喜ばれる供え物をささげることこそ真の礼拝なのです。そして、火は絶えず、祭壇の上で燃やし続けるようにと命じられているのです。

主任牧師  石田敏則

7月12日 聖日礼拝 順序

前  奏
招  詞 ヨハネの福音書6章35節
「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」アーメン
 
会衆賛美 聖歌529
会衆賛美 大いなる方に
主の祈り
交  読 詩篇51篇14~19節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 レビ記1章1~9節
説  教 神へのささげもの
           石田敏則牧師
会衆賛美 聖歌565
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
感謝祈祷  奏楽