2020年10月25日 巻頭言
シヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。
列王記第二 23章25節
ヨシヤ王は南ユダの王でした。多くの王が主に背き御心を損ねる中で、冒頭にもある通り、ヨシヤは列王記の中でも最上級の評価が与えられるほどに主に信頼した信仰者生涯を送りました。
彼の時代、王国の霊的な状態はガタガタでした。祖父マナセ王が最悪の王と呼ばれるほどに主への背信を重ねた結果でした。しかし若い頃から主を求めることに目が開かれたヨシヤの信仰は、荒廃した霊的な状況に反して成長し、やがて国家的な宗教改革を実施します。霊的な秩序は大いに回復し、ゼパニヤ、エレミヤ、ナホム、ハバククといった預言者の台頭も見られました。
しかし、ヨシヤの後を継いだ息子たち、孫たちはヨシヤに反して主の御心を損ね、南ユダはヨシヤの死から20年後に主の預言の通りバビロンによって滅ぼされます。
ヨシヤの死も悲劇的な最期でした。エジプトのファラオ・ネコがアッシリヤとバビロンの戦いに介入するために北上した折、歴代誌によれば、ヨシヤは主の御心に反してネコに立ち向かい戦死したのです(Ⅱ歴代35章22節)。
ヨシヤの生涯は失敗だったでしょうか?
そうではありません。マナセ王らの罪の結果として国は滅びました。しかし、主はバビロン捕囚という試練を通してイスラエルを新たな信仰の段階へと導きました。その試練の渦中で信仰のバトンを繋いだのはヨシヤの宗教改革で養われた人々とその人々から霊的感化を受けた次の世代の人々です。
ヨシヤの死も主は用いました。ヨシヤの戦いは結果としてバビロンに利することとなり、バビロンによって南ユダが滅ぶといった主の預言の成就へと繋がります。
私たちがマジメに主に従っても、現実は何も変わらないように見えることがあります。しかし、主は私たちの信仰の歩みを決して無駄にはせず、次の時代の人々に信仰を繋いでくださいます。だから、状況がどうあろうとも、今、主と共に生きることを大事にしましょう。
担任牧師 荻野泰弘
10月25日 聖日礼拝 順序
第一礼拝 9時 山口光兄 奏楽:荻野し兄
第二礼拝 11時 若月伊兄 奏楽:美名子姉
前 奏
招 詞 イザヤ書43章1節
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。」
アーメン
会衆賛美 聖歌28
会衆賛美 イエスの血潮で
主の祈り
交 読 エレミヤ書17章5~10節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 列王記第二 23章19~30節
説 教 今が次の時代に繋がる
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌279
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽