2020年11月22日 巻頭言

いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、
オリーブの木も実がなく、畑は食物を生み出さない。
羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。
私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

ハバクク書 3章17~19節

 ハバククは南ユダ王国が滅亡へと向かう時代に預言者として活動しました。恐らくはそれよりも前、ヨシヤ王による宗教改革の時代に活動を始めていたと思われます。
 ヨシヤは信仰の篤い王としては南ユダでは最後の王でした。彼の死後、息子たちの時代に主への背信が極まり、国が滅びます。そういう意味ではハバククは非常につらい時代を過ごしたわけです。ヨシヤ王の時代には主の言葉が尊ばれ、主を礼拝する空気が国に蘇りました。しかしヨシヤ亡き後、王と多くの国民は主に従わず、国には悪がはびこります。ハバククは正義が損なわれることに心を痛め、「なぜ」と疑問や怒り、不満を激しく主に訴えました(一章)。
 しかしハバクク書の最後は、目には何も良いものが見えず、回復の兆しも見えない中で、「しかし、私は主にあって喜び」とハバククが堅く主に信頼していることが告白されています。ハバククは、信仰とは目に見える現象によるのではなく、みことばによって支えられることを示しています。
 当初は問題に囲まれて不満だらけだったハバククの心は変えられました。この変化はどこから来たのでしょう?
 ハバククはみことばを聞き続けることで、主が真実で、約束を必ず守る御方であると悟りました。
「しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」(二4)
「信仰」とは「真実」と訳せる言葉です。「その」は「主」のことです。つまり、「正しい人とは主の真実に支えられて生きる人」という意味です。そのことを理解したハバククは、目に見えるものではなくただ主のことばに信頼し、すべてを委ねたのです。

担任牧師 荻野泰弘

11月22日 聖日礼拝 順序

第一礼拝  9時 山口(光)兄  奏楽:荻野(し)兄
第二礼拝 11時 武 山 兄     奏楽:美名子姉   

前  奏
招  詞 イザヤ書45章22節
会衆賛美 聖歌40
会衆賛美 鹿のように
主の祈り
交  読 詩篇62篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ハバクク書2章1~4節
説  教 見ずに信じる幸い
              荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌518
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
感謝祈祷  奏楽