2021年6月6日 巻頭言
それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野へ上って行かれた。そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。
マタイの福音書 4章1~3節
イエス様は荒野へ行きました。目的は悪魔の試みを受けるためで、それは御霊の導きだったと聖書は記します。
イエス様はそこで3つの誘惑を受けました。「石をパンに変えよ」「神の守りを見せてみろ」「神以外の者を拝め」これらはかつて神の民として選ばれたイスラエルが出エジプトの旅路で経験したものです。また、はじめの人アダムとエバが受けた誘惑も思い起こされます。イスラエルの民も、アダムとエバも、悪魔の誘惑に勝てずに敗北しました。イエス様は罪に負けた人類の歴史と対決するために荒野へ出て行かれたのです。そしてイエス様は、その戦いに勝利をしてくださいました。
けれども、悪魔はそのあともイエス様を失敗させようと機会を窺います。最終的な決戦は十字架でした。
4章には悪魔が荒野で「あなたが神の子なら」とイエス様にささやいたと書かれています。十字架においても悪魔は罪人を使って再びささやきます。「もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイ27章40節)
人間は、圧倒的な力で相手をねじ伏せたいと願います。しかしイエス様はそれをする力を持ちながらそうはなさいませんでした。イエス様が悪魔の力、罪の力を打ち破るために用いたのは十字架と復活でした。人間的に見るならば、無様な十字架であり、常識ではあり得ない復活です。しかし主はそれによって救いを成し遂げられました。
そして今、イエス様は、この世の誘惑や苦しみにあえぐ私たちに、十字架と復活の力を注ぎ続けておられます。イエスを主と告白し、信仰によってキリストと一体とされた私たちは、荒野、そして十字架のイエス様の勝利が与えられています。
どのような闇にいても、私たちはイエス様が灯す光を見ることができるのです。 この御方にお頼りしましょう。
主任牧師 荻野泰弘
6月6日 礼拝順序
第一礼拝 9時 司会:穂谷 牧師 奏楽:荻野(し)兄
前 奏
招 詞 イザヤ書49章13節
会衆賛美 聖歌201
会衆賛美 主はぶどうの木
主の祈り
交 読 詩篇34篇1~7節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 4章1~11節
説 教 荒野の誘惑と勝利
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌476
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽