2022年1月16日 巻頭言
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。 あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。
マタイの福音書 20章26~28節
イエス様は十字架の予告をし(19)、ご自身が世に来たのは、罪人を救うために世に仕えるためであると語りました。そして、仕えることを弟子たちにもお求めになりました(26~28)。
私たちキリスト者に求められているのはイエス様に倣って神と人と世に仕えることです。そういう意味で教会とは「仕える共同体」という性格があります。キリスト者は教会から世に遣わされて世にあってキリストを証しします。私たちが世に仕える姿を通して人々はキリストを見るのです。ですから私たちは仕える者へ成長し、教会の内でも外でも仕える者として生きることが求められます。
仕えるとは祭司的な働きです。祭司は神の前に仕え、神と人との仲介者の役割を担いました。大祭司はイエス様です。私たちのためにご自身をささげて罪を贖ってくださいました。その救いを受けた私たちは生活を通してイエス様を指し示すのです。
ただ、これには聖霊の助けが必要です。聖霊に満たされる前の弟子たちは人の上に立つ支配者になることを望みました(21)。人は聖霊の助けなしにはイエス様の御心が分からないのです(22)。だからこそ聖霊の助けによって霊の目が開かれてイエス様を見て、イエス様の生き方に倣えるように求めることが必要です。そのためには自分と向き合い、自分が見えているのかどうかを自覚しなければなりません。
二人の盲人は目が開かれることを切に願ってイエス様に頼りました。イエス様は彼らの願いに応えて目を開き、彼らは「イエスについて行」く人生に導かれました(34)
主任牧師 荻野 泰弘
1月16日 聖日礼拝 順序
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉
前 奏
招 詞 ホセア書10章12節
会衆賛美 聖歌498(1,2節)
会衆賛美 イエスの血潮で(1回)
主の祈り
交 読 詩篇139篇1~6節 , 23~24節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 20章17~34節
説 教 見えているのかいないのか
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌150(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
感謝祈祷 奏楽