2022年1月23日 巻頭言
「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
マタイの福音書 21章2~3節
イエス様はいよいよ十字架を目前にした最後の一週間に入ります。受難を前にしたイエス様の胸中はいかばかりだったでしょうか。そんな大切な場面でイエス様が用いたのは子ろばでした。
イエス様はこの世の小さな存在を用いられます。見た目からすれば、人々の前に映えるのは馬に乗ることでしょう。しかし、イエス様が選んだのは子ろばでした。黙示録によれば再臨の主は白い馬に乗ります。けれども、今の世において主が用いるのはこの世の小さな存在です。人々が目もくれないものをイエス様は御許に招いて用います。私たちは自分の弱さや乏しさに悩み嘆くことがあります。しかしそれは問題ではありません。イエス様はそんな私たちを用いてくださるからです。
では、イエス様はどうして小さなものを用いるのでしょうか。それは、人々の目を覚まさせるためです。「子ろば」はヘブル語でアイルです。それに関連した動詞形のウールは「目を覚ます」という意味を持ちます。イエス様を迎えた群衆は、自分たちの願望を押しつけてイエス様を世的な王として理解しました(9)。そんな人々の目を覚まさせるために子ろばを用いたのです。小さなものが人をハッとさせるということは間々あることです。イエス様はこの世の小さなものを用いて、世の価値観に捕らわれる人々に霊の世界の価値観を示します。
そして、人々に最も見せようとしたのが柔和な王としての姿です。「柔和」のヘブル語はアーニーで「貧しい、哀れな、悩み多い、へりくだった」という意味も含みます。それはまさに十字架のイエス様です。その姿を表すためにイエス様は子ろばに乗りました(5)。私たちの罪を贖うためにイエス様はまさに小さな者となってくださいました。だからこの世の小さな者がキリストを指し示すのです。あなたは神の前に大きな者ですか?小さな者ですか?
主任牧師 荻野 泰弘
1月23日 聖日礼拝 順序
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉
前 奏
招 詞 ホセア書10章12節
会衆賛美 聖歌501(1,2節)
会衆賛美 主はぶどうの木(1回)
主の祈り
交 読 詩篇8篇1~9節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 21章1~11節
説 教 子ろばに乗ったイエス様
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌104(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
感謝祈祷 奏楽