2022年7月17日  巻頭言

今わたしは、エジプトが奴隷として仕えさせているイスラエルの子らの嘆きを聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。

出エジプト記 6章5~7節

 ファラオはイスラエル人を支配し、重い労働を課して苦しめました。神がモーセを遣わしてイスラエル人を救い出そうとした時には、ファラオは神の言葉を拒み、神を無視します(5章2節)。そしてファラオは、イスラエル人にレンガの材料である藁を与えることを止めて(7)、しかしレンガの生産量は減らさず、イスラエル人を余計に苦しめます(8)。
 ここに罪の性質を見ます。罪とは、神を無視することです。神の言葉に耳を傾けず、背き、自己中心な生き方をします。そのような姿勢は人間関係にも問題をもたらします。他者を支配し、自分の思う通りにコントロールしようとするのです。他者に圧力を掛けて、時には虐げ、相手を傷つける言葉をぶつけて、力で支配します。しかもそれは巧妙で、本当はファラオの横暴なのに、まるでイスラエル人が悪者であるかのような暗示を掛けるのです。イスラエル人はその言葉に欺かれ、厳しい労働による苦しみもあって、怒りの矛先をモーセに向けます(21)。問題解決のために力を合わせるべき人と争い分裂するのです。これこそ罪の策略です。
 世の価値観、世の力は神の民を混乱させ、分裂を起こします。神の民も、目を覚ましていなければ、これまでの生活を変えたくないという保身が霊の目を曇らせ、神の御心を捉え損ないます。それでは罪と闘うことはできません。私たちは物事の本質を見抜くことができるように聖霊の助けによって霊の目を開いていただくことが必要です。
 モーセも自分の言動が事態を悪くしているように見えて葛藤します。しかし、神の働きを担う人は目先のことに振り回されてはいけません。忍耐深く、神の言葉に従うことが必要です。忍耐がなければ、神の救いの働きを世に示すことはできないのです。

主任牧師 荻野 泰弘

2022年7月17日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 榊原 姉

招  詞 ヨハネ6章35節
会衆賛美 聖歌29
会衆賛美 大いなる方に
主の祈り
交  読 詩篇1篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 出エジプト記 5章1~23節
説  教 混乱の王との戦い
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌160
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
後  奏 感謝祈祷