2019年9月15日 巻頭言
「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」
ネヘミヤ記 8章10節
イスラエルの人々は「仮庵の祭り」を祝いました(14~18)。昔、エジプトを脱出したイスラエル人が荒野を旅した時、「雲の柱・火の柱」でイスラエルを導いた主の同行がありました。仮庵の祭りは、主が共に歩んでくださったことを記念し、今も主の臨在があることを覚える時でした。
仮庵の祭りにはほかにも意味があります。キリストの預言です。かつて主が民と荒野を旅したように、救い主が地上に来て神の民と共に歩むことを示します。一つは降誕の出来事です。イエス様は地上の生涯を人々と共に歩みました。また再臨の預言でもあります。イエス様は裁き主として再び世に来られ、信仰者をご自身のもとに集めて永遠に共に住むのです。
神の民の礼拝について書かれているエズラ記・ネヘミヤ記(もともと一つの書)ですが、8章はまさにその頂点と言うべき礼拝の様子が記されています。第七の月(2)に行われた秋の祭りは、仮庵の祭りを含めてすべてがキリストの再臨を預言するものです。それは礼拝の民が向かうところを示します。キリストの再臨と、その後に導かれる永遠の神の国での礼拝です。
しかし、世には私たちの行く手を阻む誘惑や信仰の妨げが数多く存在します。ネヘミヤたちもトビヤ、サンバラテといった敵対勢力に悩まされました(2~6章、13章)。イスラエルの民は礼拝の民と礼拝の場を敵から守るために城壁を再建しました。主を礼拝することを守ろうと人々が務めた時、彼らの中には神を求める心が育ちました。「民全体が、一斉に水の門の前の広場に集まって」(1)みことばに一心に耳を傾けたのです。8章全体には民が心から主を礼拝している雰囲気が溢れています。主の再臨まで信仰を守り通すためには、礼拝を大事にすることが欠かせません。なぜなら、主を喜ぶことが私たちの力だからです。
担任牧師 荻野泰弘