2019年9月22日 巻頭言

「健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。」

テトスへの手紙 1章9節

 テトスはギリシヤ人で、パウロによって信仰に導かれた人物です。彼はパウロの同労者となり、パウロが開拓したクレテの教会を指導する任務を託されました。
 この手紙には、教会の監督を任命する条件が記されています。この条件に見合う者が監督(牧師や伝道者)の任にふさわしい者であり、健全なクリスチャンということができるでしょう。「これは、自分には関係ない」というのではなく、すべてのクリスチャンにとって、目指すべき姿なのです。
 クリスチャンには全てのことに関して自由が与えられています。しかしそれは、何をしても良い、勝手にやればよいということではなく。信仰や祈りを支える原則があるのです。
 それは、非難されることのない生き方です。これは家庭において家族に文句を言われない生活をすることから始まります。家庭は最も自分の本質が現れる場所です。まず、家庭において一つ一つのことを忠実に行い、裏表のない生き方を目指すことです。ほかにも、家を治める。反抗的でない。怒らない。酒飲みでない。不正な利を求めない。など実際的な教えがあります。
 この後に、不健全なクリスチャンについて記されています。
 不健全さの代表は、反抗的な人です。私たちは仕えることをいやがります。しかし、イエス様は「仕える者になりなさい」と命じているのです。自己中心の考え方。空論に走る。人を惑わす。聖書に反することを教えることも、不健全なクリスチャンの特徴です。「反抗的」という言葉は、神様が私たちを見る時の重要なポイントです。自分の中の反抗心を見つけたなら、神様の前に素直に認め、神様の求める姿に変えられるよう祈り求めましょう。これこそが、健全なクリスチャンの姿です。

主任牧師  石田敏則