2024年6月2日  巻頭言

「それゆえ、見よ。わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。」彼らはそれをすべて王に報告した。

列王記第二 22章20節

 一生懸命に生きていても、思う通りにいかずに悩んだり、失敗をして痛い目を見ることもあるのが人生です。キリスト者も、真実に主を信じ、誠実に主に仕えていてもうまくいかないときがあり、思いがけない試みに遭うこともあります。時には失敗をすることもあるものです。
 しかし、だからと言って、それでその人の人生のすべてが否定されるものではありませんし、まして、神様が見放していると思う必要もありません。むしろ神様を信じているからこそ、人の目に不幸と思える出来事でも神様の回復を期待できますし、背後に神様の大いなるご計画があることを信じることができます。
 ヨシヤ王は南ユダ王国の王で、国が滅亡へと傾く中で、民の信仰を鼓舞し、真実な信仰者たちの希望の光となった人物です。彼の祖父マナセが主の前に罪を重ね、主は南ユダ王国を滅ぼすことを決断しました。しかし、神の民イスラエルを愛した主は民族を根絶やしにするのではなく、国は滅んでも真実な信仰者たちによって信仰のバトンが繋がれるように導かれました。ヨシヤの宗教改革は、荒廃した人々の心に信仰の灯火を灯し、困難に満ちた次の時代に信仰のバトンが確実に受け継がれるための備えとなりました。
 しかし、好事魔多し。ヨシヤはエジプトとの戦いで若くして命を落とします。歴代誌は彼が神のみこころを捉え損ねて判断を誤ったことを伝えています。当時の信仰者たちは、ヨシヤが健在であればと嘆いたことでしょう。しかし、そのヨシヤの死も、そして王国の滅亡も、それは実は神が信仰者たちを新しく生まれ変わらせる通過点でした。
 神の裁きは救いだと言われます。
 主を信じる者は、厳しい出来事の背後に、なおも主の助けと導きを期待できるのです。

2024年6月2日  聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時 荻野牧師  荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師  髙橋美姉

前  奏
招  詞 詩篇32篇8節
会衆賛美 聖歌64  神の賜う愛
会衆賛美 神の国と神の義を
主の祈り 
交  読 詩篇19篇7~14節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 列王記第二 22章1~2節,18~20節
説  教 悲劇の王ヨシヤ
         荻野泰弘牧師
聖  餐(第2礼拝)
会衆賛美 聖歌518 みことばなる
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
報告
霊修会アピール
  感謝祈祷  奏楽

※第1礼拝は、礼拝後に聖餐式