2025年3月30日  巻頭言

 エレミヤ書の後半は非常に暗いトーンです。南ユダ王国そして都エルサレムがいよいよバビロンによって攻め落とされます。その前後の出来事が記されています。読んでいて心が痛む出来事ばかりです。
 これは昔の遠い国での出来事というだけではありません。聖書は、この世界が罪の故にやがて裁きを受けることを預言しています。その時代には、神のことばが無視され、偽預言者・偽キリストが現れて人々と世界を惑わします(マタイ24章)。とても恐ろしいことです。
 エレミヤの時代には、王が神のことばを小刀で切り裂いては火に投げ入れて燃やしました(23節)。とても心が痛む情景です。誰あろう主ご自身が最も心を痛めたでしょう。主は彼らが悪の道から立ち返ることを願い期待してエレミヤを通してメッセージを届けました(3節)。それは赦しのための働きかけでした。けれども、人々はそれに耳を貸さなかったのです。
 誰でも自分の話しを聞いてもらえなければ寂しく感じるものです。主も同じです。しかし、罪の世界では真理のことばが退けられ、人々は自分勝手に都合のいいことばに従います。主はどれほど心を痛めておられるでしょうか。愛しても振り向いてくれない状況は主にとっての葛藤だったでしょう。
 この世界を生きるとき、葛藤が伴います。特に主に従おうとする人は葛藤を抱えるものです。エレミヤもそうでした。真理を語っても人々は耳を傾けず、むしろ攻撃されたり、捕らえられたり、いくつもの危険を経験しました。どんなに苦しかったでしょう。終末の時代を生きることは容易ではないとエレミヤの背中が語っています。
 けれどもエレミヤは困難な時代に信仰を全うしました。それは彼が主のことばを聴き続け、主のことばを敬ったからです。主のことばが彼を支えたのです。たとえ燃やされても失われず復活するのが主のことばです(28,32節)。主のことばを携えたエレミヤたちは捕らえられても滅ぼされず、心ある人の助けを受けながら(三八、三九章)、その生涯を全うします。彼は主に支えられたのです。
 私たちも葛藤を抱えます。時には一人では抱えきれません。そんな私たちをいのちの主のことばが支えてくれるのです。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年3月30日  礼拝式次第


第1礼拝 9時 林伝道師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野と兄 榊原 姉

前  奏
招  詞 エレミヤ書33章2,3節
会衆賛美 聖歌134 おおくのかむり
会衆賛美 神の国と神の義を
主の祈り 
交  読 詩篇1篇1~6節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 エレミヤ書36章21~32節
説  教 神のことばに支えられて葛藤を生きる
                荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌469 さかえの王にます主の
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 報告 
 感謝祈祷  奏楽