2025年5月18日 巻頭言
「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。」
サムエル記第一 18章1節
ダビデという名前には「愛される者」という意味があります。名前の通りダビデは神に愛され、周りの人に愛されるような人物でした。その中でも今日の聖書箇所に登場するヨナタンは、ダビデを愛し深い友情を築いていった人物です。
ヨナタンはサウル王の息子で、イスラエルの王子でした。一方でダビデは羊飼いの息子。身分としては二人が出会うという事は滅多にない事でしょう。しかし神様がヨナタンとダビデを導き、巡り合わせたからこそ、二人の友情が生まれ互いを愛し合う関係が育まれていったのです。私たちと出会う人々も神様が巡り合わせてくださった人々です。共に集う教会の仲間たち、職場や学校の友人。中にはこの人と仲が良くなれたのが不思議だ、と思うような友人がいるかもしれません。その一人ひとりとの関係の背後には神様の導きがあり、神様の結び合わせがあるのです。
このように神様によって結び合わされたダビデとヨナタンの友情の中心には、神様がいました(サムエル記第二20章42節)。神様を中心とした友情が育まれる場所。それは教会です。何より教会の中心には私たちの友となってくださるイエス様がおられます。そのイエス様を中心として教会に集う私たちは立場や年齢などの様々な違いを超えて、互いを愛し合い支え合う友情を持つことが出来るのです。
ダビデはここからサウル王にいのちを狙われ、困難な状況に向かっていきます。その困難な状況の中でも彼が耐え抜くことが出来たのは、神様に信頼していたとともにヨナタンのような友がいたからではないでしょうか。愛されている事を知っている人は困難を乗り越える力を得ることが出来ます。イエス様が私たちの友となって愛してくださっている事、そしてダビデとヨナタンが神様によって巡り合わされたように、私たちにも互いを愛し合う友がいるという事。その事を覚えながら、困難な状況にも立ち向かっていきましょう。そして私たちも誰かのヨナタンになることができたら幸いです。
伝道師 林 眞光
2025年5月18日 聖日礼拝式次第
小礼拝 9時 林伝道師
聖日礼拝 11時 中西と兄 榊原姉
前 奏
招 詞 ゼカリヤ書2章10節
会衆賛美 聖歌459 救い主の愛と
会衆賛美 大いなる方に
主の祈り
交 読 詩篇95篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 第一サムエル記 18章1~5節
説 教 ダビデ物語③ ~ダビデとヨナタン~
林眞光伝道師
会衆賛美 聖歌522 頼りまつるイエスは
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝福の祈り
報告
感謝祈祷 奏楽