2019年4月7日 巻頭言

「その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」

ルカの福音書 15章4節

 イエスの話を聞こうとして集まってきた人々の中には取税人や罪人がいました。パリサイ人や律法学者たちは、イエスがこのような者たちと一緒に食事をするということを非難しました。イエスは彼らの抗議に対して、この「失われた羊」のたとえ話で答えられました。
 イエスは、取税人や罪人こそが失われた一匹の羊ではないかと示されたのです。これらの者がわたしの話を聞きたいと戻ってきているのです。なぜ、あなたがたは一緒に喜ぼうとしないのか、とパリサイ人や律法学者たちに向けて語られたのです。
 パリサイ人や律法学者たちの姿は、自分たちには何の落ち度もなく正しい行いをしている。しっかりと自立し、神の前に立っている。自分たちこそ、神に救われる資格を持っていると自負している自己中心な人の姿です。
 神は失われた羊をどこまでも捜し求めて、どのような犠牲を払ってでも見つけ出すまで捜し回り、見つけたら一緒に喜んでくださるのです。イエスは、「一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」と言われました。
 では、なぜあなたがたは一緒に喜ぶことができなのかと、イエスは「パリサイ人や律法学者たち」に迫ったのです。
 なぜ私たちは、神のもとに戻ることができたのでしょう。それは、神が、私たちを捜し求めてくださったからです。失われた人を見つけ出し、連れ戻してくださる。そこに「神の喜び」があるのです。見つけ出してくださった神の喜びを感謝して受け取って、その神の喜びの中に生きていくということが大切なことではないでしょうか。

主任牧師 石田敏則