2019年6月2日 巻頭言

「弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」

コリント人への手紙第一 9章22節

 パウロは福音の宣教を「そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。」と、自らに与えられた個人的な使命、責任として捉えていました。私たちはパウロのように、福音宣教は選択の余地の無い責任であり、自分との関わりを人々の永遠の問題として受け止めているでしょうか。パウロは、福音を宣べ伝え多くの人を獲得する為に「すべての人の奴隷となりました。」と語っています。それは人間的な妥協ではなく、魂への真実な愛と使命、そして聖霊による知恵から生れてきたものでしょう。キリストの福音による真の自由と恵みは奴隷となったとしても決して失われるものではなく、益々輝きわたるものです。
 また、パウロの「何とかして、幾人かでも救うためです。」との言葉は、多くの犠牲を払い、工夫をし努力したかという、彼の魂に対する愛と情熱を感じます。どの時代も伝道の困難はあります。しかし、 一人の魂の貴さを思い、救いを目指す時には神の御業がなされる事を期待してこの務めに励んで参りましょう。
 7章でパウロは「あなたがたは、代価をもって買われたのです。」と記しています。罪の奴隷であり囚われの身であった私たちは、キリストの十字架の死という身代金を支払っていただき自由にされた者です。その自由を自分の誇りや高ぶりのために用いるのではなくて、主にある弱い兄弟への愛と配慮のために用いたいものです。自由であるからこそ仕える者となっていく。その中で、私たちも福音の恵みに共にあずかることができるのです。

主任牧師 石田敏則