2019年12月8日 巻頭言

「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」

ピリピ人への手紙 2章6~7節

 キリストの模範を学ぶ時、私たちは、イエス様は特別なお方だから、彼の謙遜や自己放棄は素晴らしいが、私たち凡人にはとても真似はできないと考えます。しかし、パウロは人間のそんな弱さを百も承知で、キリストの思いを自分の思いとしなさいと挑戦しているのです。それは主の恵みによって可能です。では、主の模範から、教えられることとは何でしょう。
 第一は、私達が今持っているものに固執しないという生き方です。私たちの生活を全否定しなさいという意味ではありません。主が命じられた時には、それがどんなに自分にとって大切なものであったとしても、捨てる心の準備を言い表すことが大切です。現代人にとって、快適な生活を捨てることは難しいと思います。しかし、主の御心ならばその便利ささえも喜んで捨てる用意はあるでしょうか。イエス様でさえ神との等しい位置に固執されなかったとすれば、まして私達が何物かに固執する事があるでしょうか。
 第二は、他人のことを顧みることです。3節、4節の直訳は、「自分のことではなく、他人のことを顧みなさい」なのです。ご自身が、それを実践なさった主が、私たちのそばにあってそれを可能にしてくださいます。
 第三は、自己放棄です。それは、キリストと共に自らに死んだという明確な信仰告白とそれに伴う聖めの経験によってのみ可能となるのです。「私はあなたと共に十字架につきました。古い自分は死に。生きているのはキリストご自身です」。キリストを信じ、より頼むことで、本当の意味で生きるのです。どこかで決断し、告白し、その信仰に立ち続けましょう。

主任牧師  石田敏則