2019年12月1日 巻頭言

「主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。」

ルカの福音書 12章36節

 アドベントに入りました。ラテン語の「到着」とか「到来」から、キリストの降臨を待ち望むと同時に、主が再び世に来られる再臨の日を待ち望む訓練期間でもあります。
 紀元前1世紀のイスラエルは、ローマ帝国に支配される中、人々の政治的メシヤ待望が強い時代でした。その一方、霊的な救いをもたらすメシヤを待望して、祈り求める少数のグループも存在しました。女預言者アンナやシメオンはそのような人々でした。
今日のたとえ話の主人は主イエスです。主イエスがこの世に再び来られる時を、信仰者たちが、良き心備えをもって待ち望むことが教えられているのです。
 では、待つ人とはどのような人でしょう。
 第一は、居眠りをしないで、目を覚まし祈る人です。
 第二は、準備を整えることです。主人の帰りが何時になっても良いように、働く姿勢を取り続け、灯りをともし、ドアをいつでも開けられるようにして待つのです。
 第三に、主に喜ばれることを想像しながら、それにふさわしい生き方をする人です。
 第四に、大きな期待を持って待つ人です。帰って来た主人は、そのしもべたちを食卓に着かせ、給仕をしてくれます。主人がしもべを友人として扱ってくださるのです。何という光栄、何という驚きでしょう。天国とはそのような驚きの場所です。
 クリスマスにおいて、私達は主の御降誕を過去的に祝うだけではなく、これが再臨の雛形であることを覚えながら、クリスマスを待ち受け、大きな期待感をもって再び来たり給う主を待ち望む備えをしましょう。

主任牧師  石田敏則