2019年12月29日 巻頭言

「彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。
初めの雨も そこを大いなる祝福でおおいます。」

詩篇 84篇6節

 詩篇84篇は、作者が心から主の宮を慕う様子が丁寧に描かれており、多くの人から最も美しい詩篇の一つといわれます。
 この詩の作者や背景は諸説あります。詩篇の内容から察せられるのは、作者が苦難を経験し、主の宮を訪れることが容易ではない状況にあったということです。作者は、主の宮で礼拝をささげることができないという喪失を体験していました。しかし、その体験が彼に教えたこともあります。主を礼拝し、主と交わることがどんなに幸いであるかということです。
 人は生涯において様々な喪失を体験します。それはうれしいことではありません。悲しみや痛みを伴います。しかし「失って初めて知る価値」もあります。失うことも人生を彩る大切な経験であり、それが人生を豊かにします。
 但し、失うことを受け入れるのは容易ではありません。悲しみや痛みは丁寧に扱わないと本人や周囲の人を傷つけます。
 近年は災害で被災する方が多いこともあり「グリーフケア」「グリーフワーク」という取り組みが認知されつつあります。喪失を体験した人に寄り添い、その悲しみから立ち直る助けをする大切な取り組みです。
 一般的なグリーフケアでは、最終的には失った人やモノを「あきらめる」ことでその出来事を受容します。これがクリスチャンのグリーフケアの場合は「主に委ねる」ことによって受容します。単にあきらめるのではなく、救い主であり復活の主の最善の御手に期待して回復の道をたどります。
 詩篇作者は、悲しみの中で主を見上げました。その時、主を慕い求める人に開かれている恵み深い世界を知りました。
 「初めの雨」とは夏の暑さで乾燥しきった大地に降り注ぐ秋の雨です。それは大地を潤し、良き実を実らせます。主と繋がる人には、失う体験の先に回復の命が注がれて、新しい力によって生かされるのです。
 この一年も様々なことがありました。失うこともありました。でも、主はそこに恵みを注がれます。

担任牧師  荻野泰弘