2020年3月22日 巻頭言

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」        

ヨハネの福音書 6章35節

 私たちの日常において「食」は欠かせないものです。言うまでもなく、私たちの肉体の命に関わるからです。家事でも、掃除、洗濯、洗い物などは少々ため込むことができます。しかし食事に関しては、一日3回規則的でなければなりません。ある日は3食、ある日は1食、或いは食べる時間がバラバラ、と不規則であれば健康に支障が出ます。
 これは「霊」の世界にも通じることです。
 イエス様は5千人の食事を満たしました。人々はその出来事(現象)に注意が向きましたが、それがイエス様の真意ではありません。イエス様が本当に伝えたかったのは、人間の必要のすべてを満たすのはイエス様ご自身であるということです。特に霊的な必要はイエス様にしか満たせないのです。ですからイエス様はご自身を「わたしがいのちのパンです」と仰いました。私たちはこの御方から、日々、いのちを受けることで霊、魂、体が生かされ、人生が豊かにされます。
 では、私たちがイエス様からいのちを得続けるために必要なことはなんでしょうか。
 それは主を信じ、主に信頼し続けることです。「信じる者は永遠のいのちを持っています」(47)とイエス様は仰いました。
 イエス様はいつも私たちのそばに居ます。人間は自分の理解を超えた困難に遭遇すると、恐れから主に信頼する心が弱くなります。そのような時にも主に頼り続けることが求められています。5千人の食事を満たした直後に弟子たちは湖で嵐に遭遇します(16~21)。その時、湖の上を歩いて近づいたイエス様を弟子たちは喜んで舟に迎えました(21)。この姿勢こそ主を信じる者の姿です。自分と自分を取り巻く状況や状態、現象がどうであれ、主に信頼することが私たちクリスチャンの生き方です。大切なのは主との関係に生きることです。その人は、嵐の中でも喜びを得るのです。

担任牧師  荻野泰弘