2019年7月7日 巻頭言

「万国の上にかぶさる覆いを取り除き、永久に死を吞み込まれる。神である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。」

イザヤ書 25章7~8節

 召天者記念礼拝にようこそお出でくださいました。今日は、先に天に帰られた兄姉を偲び、天国への希望を新たにする幸いな時です。
 今日、私達の前に大きく立ちはだかる壁に「死」の問題があります。病院でも「4」と言う番号を飛ばして部屋を決めているところがあるくらい、死は忌まわしいもの、という感覚が日本人には一般的です。
 聖書は、人間が神に背いて自分勝手な生き方を始めた、その罪の結果、死が入ってきたとその起源を説明しています。そしてその同じ聖書は、「永久に死を滅ぼされた。」と宣言しています。この言葉は、21世紀に生きている私達にどう関わりがあるのでしょう。
 キリストは私たちの死を滅ぼすため、十字架の死を受けられ、その死を打ち破り甦り死に打ち勝たれました。それは、死の支配が終ったことを意味しています。そして死に対するキリストの勝利は、キリストを信じるものに分け与えられる保証なのです。
また神は私たちの涙を拭い去り、死がもたらす悲しみを取り去ってくださいます。この希望の故に、患難、苦労を耐えることが出来るのです。愛する方を天に送った者は、悲しみの中にあります。しかしそれは望みのない悲しみではなく、やがて天において再会を喜び、主イエス様と顔と顔を合わせて相見える時を待ち望む希望でもあるのです。

主任牧師  石田敏則