2019年7月14日 巻頭言

「ただ、人々は、『以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている』と聞いて、私のことで神をあがめていました。」

ガラテヤ人への手紙 1章23~24節

 「信仰をもったという人々が、なぜ数年でその信仰から離れてしまうのか」「何故、教会に来るのを辞めるのか」「彼らはどこへ行ったのか」パウロは、あなたがたのまわりには、信仰をかき乱す者たちや状況がある、と言っています。
 しかし、一度、信仰に立ったならば、その信仰を手離してしまわないために、揺り動かされない為には、何を、どう点検したらよいのかを教えています。
 第一に、イエス・キリストとの直接の出会いを経験しているかどうかです。パウロは、福音をイエス・キリストの啓示によって受けた・・・と証ししています。それは、イエス・キリストの十字架の救いを、自分のこととして経験したということです。この経験がないと、信仰は始まらないのです。
 第二は、教会との接点をどうとらえているかです。「信仰さえ持っていれば、教会には別に行かなくてもよい」という考えは聖書的ではありません。神は信仰者を一人にはさせません。旧約時代も神の民、群れとして訓練されました。新約時代も、そして、今も、「呼び集められた群れ」として、地上の教会での集まりを与えてくださっているのです。
 第三に、自分の意志・主体的決断をしながら信仰生活を送ることです。神との交わり・祈り・黙想の時をもつ・教会に行く・クリスチャンと交わる、これらは強制されて行うことではなく私たちの意志的な行為なのです。
 パウロ自身が自分の意志を働かせて行動した背後に神さまの導きがあったのです。そのような、ぶれない信仰をもっていると、周りの人々が、その人を評価し証言してくれるのです。

主任牧師  石田敏則