2019年7月21日 巻頭言
「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」
ガラテヤ人への手紙 6章2節
ガラテヤの人々は、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしていました。そんな彼らにパウロは、肉によってではなく、「御霊によって歩みなさい」と語ります。では、御霊に導かれるクリスチャンは、どのような歩みをすべきでしょうか。
まず、他のクリスチャンが過ちに陥ったのを見たなら、柔和な心でその人を正してあげることです。この「正す」という言葉は「元の状態に戻す」という意味です。そして「柔和な心」とはへりくだった心のことです。私たちが御霊の実を実際に結んでいるかどうかは、兄弟姉妹との具体的な人間関係において現われるのです。ともすると私たちは過ちに陥っている人を見るとき「あれはどうしようもない」と言って心の中で見下しがちです。それは自分を立派だと思っているからです。パウロは、すべての人は神の前に罪人であり誇るものを何も持っていないと言います。大切なことは、他人との比較によってではなく、ただ神との間で自分のことを考える、ということです。
第二に「互いの重荷を負い合う」ことです。私たちは、何かを担わなければならないとしたら一番軽い物にしてもらいたい、と思います。しかしキリストにあって救われた私たちは、神の家族として互いに関わり、重荷を負い合うのです。
イエス・キリストは、あの十字架で、罪と死とのろいを負ってくださり、私たちには軽いくびきを与えてくださいました。そのくびきとは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」との命令です。神様からいただいた愛をもって、互いに重荷を負い合うのです。この重荷は悪い重荷ではなく、良い重荷です。私たちがへりくだりを学び、イエス様に似たものとなるために、必要なあなた自身の重荷なのです。
主任牧師 石田敏則