2020年1月19日 巻頭言

「その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。」

エステル記 6章1節

 王妃エステルによる宴会の夜、眠れない人が二人いました。
 一人はクセルクセス王でした。そこで彼は、自分の治世が記されている「記録の書」を読ませます。その記録で、自分のいのちを救ったモルデカイにふさわしい恩賞を与えていなかったことに気づきます。これも神の摂理によるものでした。私たちの日常生活の一つ一つが、神に導かれているしるしなのです。
 王が何かをしなければならないと考えていたところにハマンが現れます。ハマンもまたモルデカイへの憎しみで眠ることができませんでした。ハマンはモルデカイを処刑するため周到に準備を整え、王の許可を得るために誰よりも早く王との面会を求めようと王宮の庭に来たところでした。
 王はハマンに「栄誉を与えたい者にはどうしたらよいか」と質問します。ハマンは自分のことだと考え、自分が願うこと、つまり王と同じ地位に立つことを印象づける提案をします。その結果ハマンは、自分が殺そうとしていたモルデカイに最高の栄誉を与えることになります。
 自戒させられることは、ハマンが犯した間違いは誰にでもあり得ることです。多くの失敗は高ぶりによって引き起こされます。私たちの働きはすべて神によって与えられたものです。私たちは自らの働きにプライドをくすぐられるものですが、実際は神の憐みによって機会を得たに過ぎないのです。栄光は私たちを用いてくださる神のものであることを常に覚えたいものです。
 神の摂理は何と不思議なことでしょう。人間の悪い企みが皮肉な形で阻止されたのです。全能の主は今も生きて働いておられます。私たちは自らの人生をこの方にお委ねし、物事を正しく導く神の摂理の中を歩ませていただきましょう。

主任牧師  石田敏則