2020年2月2日 巻頭言

むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。

ピレモンへの手紙 9,10節

 新約聖書にあるパウロの手紙のうちピレモンへの手紙は他と比べて極めて個人的な内容が強いという特徴を持ちます。
 おもな登場人物は手紙の書き手パウロ、受取手のピレモン、そしてオネシモです。
 オネシモは以前、ピレモンの奴隷でした。しかし、悪事を働いて主人ピレモンのもとから逃げ出したのです。ところがパウロのもとで回心しました。パウロはオネシモが主人ピレモンのもとに帰って関係を回復できるようにと執り成しの手紙を書きました。しかもそれは口だけではなく具体的に負担を負う行為でした。オネシモがピレモンに対して負っている負債は自分が肩代わりするというのです(17,18節)。また、オネシモがもしも再び罪を犯すなら、パウロもその責任を問われかねないということです。
 パウロはどうしてそのようなリスクを負ってまでオネシモを執り成したのでしょう。その理由の一つは、パウロ自身がそのように扱われた経験があるからです。
 かつてパウロはイエス様を否定し、教会に敵対していました。キリスト者を迫害し、それは苛烈を極めました。そんなパウロが主の特別なお取り扱いで救われたのです(使徒の働き9章)。しかし多くの弟子たちはパウロが回心したことを疑い警戒しました。それほどのことをパウロがしてきたということでしょう。そのパウロをバルナバが引き受けて使徒たちに執り成しました。そのことによってパウロは弟子として公に認められたのです(使徒9章26~28節)。 まさにパウロ自身が恵みによる執り成しを受けたのです。恵みを身をもって知っていたパウロだからこそ、オネシモのことを引き受け、執り成したのでしょう。それはパウロにとって重荷ではなく、ごく自然の行動だったと言えるのかもしれません。恵みを知る人が、他の人に恵みを注ぐことができるのだと教えられます。

担任牧師  荻野泰弘