2019年5月26日 巻頭言
「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」
コリント人への手紙第一 3章6、7節
教会について語られるときしばしば耳にするのが「初代教会に帰れ」という言葉です。使徒の働きに見られる聖霊の躍動を求めることは共感できます。一方で、初代教会を美化しすぎているようで違和感も覚えます。初代教会にも多くの問題があったと聖書は記しています。初代教会をいたずらに美化するのではなく、様々な問題にどのように対処したかを学ぶ良き模範として初代教会を捉えたいものです。
コリントはギリシャの主要都市として貿易や産業が盛んで商業的に非常に発展していました。それ故に贅沢、遊興、不道徳にふける街として不名誉な評判も世界に響かせていました。しかしパウロがこの街を訪れたとき、主は「この町には、わたしの民がたくさんいる」と告げました。それでパウロは伝道に励み教会が建て上げられました。 主のまなざしは罪人に向けられ、その救いが待ち望まれているのです。
コリント教会は国際都市ならではの多様な人々の集まりだったようです。それ故に一致することの難しさがありました。派閥が生まれ深刻な争いが生じたのです。パウロは彼らに一致することを求めました。
教会が一致するために必要なことは、キリストを見ることだとパウロは言います。教会の中心は人間ではなく主であり、注目すべきは人間の功績ではなく主の働きです。
また、主が人を成長させることも忘れてはなりません。人間は時に、人の未熟さを責めることがあります。しかし主は未熟な人を成長させます。それは他人事ではありません。自分自身が主に導かれて成長の道を今も歩んでいるのです。信仰者がするべきことは、人の未熟さを見てその人を責めるのではなく、その人がどうしたら成長できるかに心を砕くことです。そのような姿勢は、人を成長させようとする主と共に働くことでしょう。
このように主を見上げるならば、私たちは多くの違いを主のために用いることができるのだと教えられます
担任牧師 荻野泰弘